日産自動車 X ラグランジュ・プロジェクト 制作レポート

『輪廻のラグランジェ』主役機のデザインが決定するまでの、前代未聞のデザインコンペディションの経緯と、番組プロモーション用に制作されたジューク アートカー完成に至るドラマをご紹介。これまでにないロボットアニメの実現に向けて奮闘した、制作者たちの熱い想いをご覧いただけます。

自動車メーカーとリアルロボットアニメの邂逅……「カーデザイナー総勢60名参加による、主役機デザインコンペティション」という大事件。

 『イノセンス』('04年)や『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』('08年)などで国際的な評価を得るプロダクションI.Gが、いまあえてリアルロボットアニメを作る――「待ってました!」と拍手喝采した人と同等に、「なぜいまごろI.Gがリアルロボットアニメを……?」と、疑問に感じた人もいたことだろう。

 リアルロボットアニメとは、かの名作『機動戦士ガンダム』('79年)を源流とする、人が乗り込み操縦するロボットを「兵器」として扱い、そのアクションや運用などを含めリアルに描写する作品だ。ガンダムの劇場映画化('81~'82年)と、俗にガンプラと称される同作品のプラモデルブームをきっかけとし、'80年代初頭は類似作品が毎日のように(場合によってはゴールデンタイムで)民放各局にて放映されるという一大ムーヴメントを巻き起こした。

「じつはすでにメインストリームではない」という現実

 ただしそのブームは長続きせず、'82~'83年をピークに早くも右肩下がりの曲線を描きはじめ、'84年には番組スポンサーを務めていた玩具メーカーやプラスチックモデルメーカーの倒産が頻発し、作品数が激減。その結果、とうとう「ジョーカー」たる、リアルロボットアニメブームの中心であり続けたガンダムの続編『機動戦士Zガンダム』('85年)を市場投入せねばならない事態にまで陥り、その後は「一定の固定ファンこそ存在するが、すでにメインストリームには成り得ぬアニメ」として、OVA(オリジナルビデオアニメーション)や深夜/早朝帯放送作品として生き残ってきたジャンルでもある(ただし、キラータイトルとして未だ君臨し続けるガンダムシリーズと、社会的ブームを巻き起こし「厨二病」という流行語を産むきっかけとなった『新世紀エヴァンゲリオン』('95年)、変形ロボットアニメの走りたる『超時空要塞マクロス』('82年)の続編『マクロスF』('08年)などごく一部のタイトルに関しては、玩具&プラモデルまでを巻き込んでの大ヒットとなった事実は付記しておきたい)。

 そんな「いまや企画として成立しにくい」と言わざるをえないリアルロボットアニメに、プロダクションI.Gは後発中の後発として乗り込むことを決めた。当然ながら、ありきたりの作品を作れば「何をいまさら……」とアニメファンから叩かれるのは火を見るより明らかだ。

 つまりは、そうした事態を避けるためには、さまざまなポイントにおいて革新的な作品とせざるをえない――。

 そこでとりわけ、まず最初に浮上した問題が主役ロボットのデザインであった。

 いきなり赤裸々な話をしてしまうと、いま現在……いや、この30年間ずっと、一定以上の質とペースをもってロボットのデザインを手がけることのできるアニメ畑の専業メカニックデザイナーは、じつは両手の指で数えることができるほどしか存在していないというのが支配的な意見だ。

 要は、そうしたたかだか10人程度のメカニックデザイナーのスケジュールを奪い合うことで、リアルロボットアニメというジャンルはこれまで延命を続けてきたのである。

 が、そうした既存の方法論に則ったリアルロボットアニメを、いまさらプロダクションI.Gが創作しても意味がないのではないか――そう考えた番組企画スタッフたちは、'08年の企画立ち上げ当初から国内外に新しい才能を求め、「アニメ畑でメカニックデザイナーの仕事をしている人物以外の人材」の起用を検討しはじめた。そして、そこで至った結論が、「プロダクトデザインで世界最先端を走る、日産自動車グローバルデザイン本部へのデザイン依頼」という大胆極まりないものであったのだ。

 かつてプロダクションI.Gは『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』('06年)にて日産とコラボレーションした実績があり(劇中に日産のコンセプトカー2車種が登場した)、その際に生じたパイプを通じ「ダメもと」で企画を持ちかけてみたところ、なんと日産から承認を取り付けることに成功してしまう。

すべてが未知数。そして、そこに伴う多大なリスク

 なお、承認した日産の英断にも驚かされるが、これは同社にとってもプロダクションI.Gにとっても非常にリスクの高い方法論とも言えた。

 まずそもそも、日産の社内に、商業的に通用するリアルロボットをデザインすることのできるカーデザイナーが存在しなかった場合はどうするのか?

 さらに、「かつてフォードのカーデザイナーであった」という経歴を買われ『∀(ターンエー)ガンダム』('99年)のデザインワークを任されたプロダクトデザイナーのシド・ミード('33年~)が、保守的なアニメファンから「こんなのガンダムじゃない!」と総叩きにあった事実を考えれば、それと同様の事態が生じる可能性も否定できない。

 はたして、日産のカーデザイナーたちの中から、アニメファンを納得させるだけの革新的なリアルロボットをデザインすることのできる人材が見つかるのだろうか……?

 そのすべてが完全なる未知数である。

 日産に所属する全デザイナーとモデラーを対象とした、主役ロボットデザインのオープンコンペティションの開催決定――これは、よきに転ぶか悪しきに転ぶか、まさしく「五分と五分の賭け」に出た大博打と言えた。

これらは、デザインコンペティションの最終フィードバック('09年4月14日)までに提出された、日産のカーデザイナーとモデラーの手によるスケッチの一部。カーデザイナーならではの線が見て取れるもの、既存リアルロボットデザインの影響下から脱し切れていないものなど、よくも悪くもバラエティーに富んだ内容と言えよう

 '09年1月に日産デザインセンターにて実施された、主役ロボットデザインのオープンコンペティション概要を説明するためのキックオフミーティングには、じつに150名以上のデザイナーが参加。番組企画スタッフから「人型と飛行形態に変形し、女性主人公が搭乗するこれまでにないシルエットを持つロボット」という極めて高いハードルが提示されたにも関わらず、応募者は最終的に60名を越えるに至った。

 そこでコンペティション参加者たちから提示されたデザインは、既存のリアルロボットデザイン(とくにガンダム……というよりはむしろガンプラと言うべきか)からの影響が明らかに見て取れるものも少なからず見受けられた反面、アニメ畑のメカニックデザイナーからでは絶対に出てこない発想に基づくものも多く、この時点ですでに、番組企画スタッフ的には「五分と五分の賭に勝った」様子が見て取れる。「わざわざ自動車メーカーに主役ロボットのデザインを依頼してきたのだから、ガンダム的なフィーリングを持ち込んだら負けだ」ということを、日産のカーデザイナーたちは充分理解してくれていたわけだ。

デザインコンペティションの終了とその後のサプライズ
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