世界と日産のSRSエアバッグの主な歴史【日産編】
- 1960年代後半よりSRSエアバッツグシステムの開発に着手。
- センサーやインフレーターなどのベースとなる技術も独自に開発。
- 1970年にアメリカ運輸省(DOT)のESVプログラムの提案をうけ、1971年プロジェクトチームを編成。ESV用SRSエアバッグシステムの本格的な開発を開始。
- 当時はインフレーターが火薬取締法の適用を受けていたため、インフレーターを持ち運びするのも難しく、必ず火薬庫に入れて保管し、使用個数、処分方法などを通産省に報告する義務があった。中には異常燃焼するものもあり、実験中の案全確保に苦労した。インフレーターは1987年頃に火薬取締法の適用除外となる。
- 日産がESVに出品した実験用安全車にはSRSエアバッグシステム(安全パッド)の他に、後方確認のできる潜望鏡のようなペリスコープ、安全バンパー、安全シートなどを装備した。
- 1970年代の終わりまで研究・開発が主体。信頼性を高め、量産、市販化に向けて、個々の技術を熟成させる時代だった。
1980年代になって生産車に採用する開発を推進した。
- 1989年に発表されたインフィニティQ45に運転席SRSエアバッグシステムが日本、アメリカ同時に標準装備される。
- 1992年に発表されたレパードJフェリーに助手席SRSエアバッグが標準装備される。
- 1993年にプレジデントに日本初の後席SRSエアバッグシステムが装備される。
- SRSエアバッグシステムの信頼性を確保しながら、軽量化、コストダウンを実現し、1995年8月に発表されたセフィーロから全乗用車に運転席SRSエアバッグシステムを標準装備しはじめた。
- 1995年9月までにサニーまでの全ての乗用車(商用車は除く)に運転席SRSエアバッグシステムの標準装備化を達成。
- 1995年11月に後付けSRSエアバッグシステム(レトロフィット)を発表。
- 1996年6月に発表されたシーマに日本車初のSRSサイドエアバッグシステムが装備される。
世界のSRSエアバッグの主な歴史