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日産プリンス神奈川販売株式会社 中原店
テクニカルスタッフ1990年8月9日生まれ。2011年に日産プリンス神奈川販売入社。中堅の先輩テクニカルスタッフ(TS)として、豊富な経験はもとより、上下分け隔て無く見渡すことのできる冷静な観察眼を持つ。2015年に代表選出にトライしたが、悔しくも敗れる。全国大会への挑戦は今回が初。日産1級整備士、2級テクニカルアドバイザー。
(写真左) -
日産プリンス神奈川販売株式会社 長津田店
テクニカルアドバイザー1983年4月23日生まれ。2004年に日産プリンス神奈川販売に入社、テクニカルスタッフ(TS)として14年のキャリアを積む。2018年4月よりテクニカルアドバイザー(TA)に着任。入社1年目の新人TS時代、9年目のTS時代と、過去2度の全国大会出場経験を持つ。日産1級整備士、国家一級自動車整備士、1級テクニカルアドバイザー、マスターテクニシャンHITEQ。
(写真中央) -
日産プリンス神奈川販売株式会社 中店
テクニカルスタッフ1995年9月28日生まれ。2016年に日産プリンス神奈川販売へ入社し、現在テクニカルスタッフ(TS)として4年目の日々を送る。今回、チームの中では最若手。周囲から多くのことを学び取る気概と負けん気の強さで全国大会優勝へ貢献した。日産2級整備士、3級テクニカルアドバイザー。
(写真右)
全国の精鋭な整備士が、
技術とサービスを
競う熱き大会
全国日産サービス技術大会。
2年に一度、全国の日産販売店で働いている整備士たちが集い、「サービス技術」の頂点を目指して競い合う。
1966年から続いているこの大会は、全国のテクニカルアドバイザー(TA)とテクニカルスタッフ(TS)が、
応対技術と整備技術それぞれについて競い合う。直近の2019年大会では全国9会場で開催されたブロック大会を
勝ち抜いた44社108名の選抜選手が、神奈川県横浜市の日産教育センターにて「最終決戦」を行った。
そのチーム部門で見事優勝を果たしたメンバーに、大会に出場する意義や、培われた日産の技術について話を
聞いた。
スローガンのもと全国の販売会社から
選抜されたスタッフが集結。
日頃の成果を競い合う機会をつくることで、
上質なサービスの維持につなげています。
ライター/インタビュアー
三代やよい
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大会で優勝したのだから、
これくらいのことは
出来なければ。
そういう自分の
モチベーション
に繋がっているんですテクニカルスタッフ(以下、TS)を目指すいち学生だった竹田祥希は、全国日産サービス技術大会の競技の舞台で実技に挑む未来の先輩の姿を目の当たりにして思ったという。
「自分も、いつか」現在入社4年目、今回最若手のチームメンバーとして全国日産サービス技術大会へ挑戦した。入社して2、3ヵ月の頃に一度、各店舗が全国大会へ向けて代表を決める選抜に自ら手を上げている。同期を押し切っても自分が出たいと意気込み、見事そのチャンスを掴んだ。
日常の業務に加え、大会に向けた1ヵ月半におよぶ特訓。もちろん楽なものではなかったが、整備のことを根本から学べるまたとない機会だったとふり返る。
「先輩が問題を作ってくれたんです。クルマの部品をわざと修復が必要な状態にしてもらって自分が直す。それを繰り返すことで知識をつけていきました」
整備士はクルマのお医者さん
3人で挑んだ大会。ふたりの先輩から直接学べることが何より大きかった。予習、実技、復習を繰り返し、毎日没頭した猛勉強は結果となって返ってきた。
「普段の業務ではエンジンやトランスミッションの積みおろしのような重整備が多いのですが、今回の競技ではコンサルト(診断機)を使った整備がメインでした」
現代の自動車は精密機器だ。コンピューターの計測、解析、シミュレーション、調整を行なうためにコンサルトによる診断は不可欠。大会を通してそのスキルを向上させ、自らの武器を強固なものにした。
「大会で優勝したのだから、これくらいのことは出来なければ。そういう自分のモチベーションに繋がっているんです。整備士はクルマのお医者さんと言われます。大会で得たものはお客さまへきっと還元できると考えています。日々の業務に活かして、安心感と信頼感をお客さまに抱いていただけるような整備士になりたいです。クルマを安心して乗っていただけるように」
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自分は、人の良いところを
どんどん真似していく性格。
そうして良いところ取りを
重ねていけば、結果的に
苦手な
ものが少なくなって
いきます3名で挑んだ今回の全国日産サービス技術大会で、渡邊󠄄駿の立場はベテランの板橋、若手の竹田の間にたつ中堅TSというものだった。優勝の決め手は、「運が良かった」と語るが、謙遜でも誤魔化しでもない。
「あのメンバーの誰がひとり欠けても優勝できませんでした。板橋TAは自分のことをやりながらも、自分たちの面倒を見てくれた。竹田はコンサルトによる診断を入社4年目にして完璧にクリアして、負けずについてきたのがすごいんです」
大会を通して、渡邊󠄄は改めて考えた。
「幅広い知識が必要だと思いました。たとえばいまは制御系の技術がどんどん進化しています。新しいことが日々増えていくからこそ、仕組みの根本を知っておかなければいけない。違いや注意点が頭の隅に入っていれば、あとは周りに確認しながら正しい道へ進んでいけます」
同じ日産のコンパクトカーといってもマーチとノートではまったく中身が違う。その違いを知っているか知らないか。それだけで対応は変わるし、解決までのスピードも異なってくる。
「特に今は、エマージェンシーブレーキや、踏み間違い衝突防止アシストなど、これまでになかった機能が増えています。障害物に近づいたりしたときに警告を知らせるソナーだけでも何通りも鳴り方がある。お客さまによっては、故障かなと感じられる方もいるわけです。」
自分が運転している最中に、聞いたことのない電子音が車内へ響けばやはり不安になるだろう。
「TSの自分は警告音にすっかり慣れてしまっているけど、お客さまはそうではない。ソナーの音に驚かれると思うんですね。ですから、お客さまの気持ちに寄り添って整備やご説明をしていかなければ。そう考えています」
学ぶ立場から真似される立場へ
競技大会で学んだことは、もうひとつある。「その人、その人に合わせて、伝え方を変えるということです。先輩への質問、後輩への指摘、それぞれの人の性格やバックグランドをよく見た上でアプローチをしなければいけないと思いました」
普段は別々の店舗で働く3人が大会のために集められ、ひとつの目標に向かう。急ごしらえのワンチームが短時間で効率的に互いの能力を引き出し高め合うには、適切なアドバイス方法や指示の仕方を見つけることが成功への近道へ繋がる。
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クルマって、ひとりひとり
乗り方が違いますよね。
だからお客さまと
繋がることは
とても大切なんです。板橋亮は、TS歴14年。今回のメンバーの中で最もキャリアが長い。
「でもテクニカルアドバイザー(以下、TA)になってからは1年半。やることもTSの時とはまったく違いますし、長くやっている人に比べたらまだまだなんです」
実は、板橋はこれまでに2回、全国日産サービス技術大会へ出場している。一度目は2004年に新人TSとして、二度目は2013年に。前者は準優勝、後者は優秀賞に終わり、表彰台の一番上には登れなかった。「優勝したい、それが一番でした」 TSからTAへ。職種を変えてまで、あの場所へ戻ろうと決めた。
「競技では、TSのふたりは事前に決められたクルマの故障診断をするのですが、TAの場合は本番10分前になってようやく対応するお客さまの情報をもらえます。そこから“問診”をしつつ、不具合の原因を探り当てていきました」
お客さまとの会話を通じてだんだんに解決の糸口を手探りし、ほぐし、端緒をつかみとるTAは、いわば交渉人であり翻訳家でありコンシェルジュだ。共通言語とお客さまへの対応力、窓口としての適確な判断力が求められる。
「クルマって、ひとりひとり乗り方が違いますよね。だからお客さまと繋がることはとても大切なんです」クルマのことを知り尽くしたうえで、お客さまのことも知り尽くす。それが板橋の目指すTAの姿だ。
目標があるから苦しくない
大会のためにTAになった。板橋はそう言い切る。何がそこまで彼を突き動かしたのか。
「特訓、つまり勉強のための時間が自分は大好きなんです。何を聞かれても答えられるようにあらゆるシステム、すべての車種についての知識を積む。それは普段の業務にも必ず役に立ちますし、逆も然り。普段の業務でも常にそれを心がけることで、競技にも活かされていきますから」
次こそ優勝。その目標があるから「特訓も苦しくなかった。むしろ楽しんでいた」と明るく笑う。
そして、板橋はTAとして全国のトップに立った。しかし、それでも先輩から学ぶことはまだまだ多いのだと兜の緒を締める。
「お客さまに理解し安心して日産車へ乗っていただくために、大会は終わったけれど、これからも継続して勉強をし続けたい」優しい口調の中に決意がにじんだ。
ところで、人々がクルマに求めるものはなんだろう。性能か、価格か、デザインか。
「それらももちろんなのですが、サービスを含めた『ご購入後の対応』で、日産に乗っていてよかったなと思っていただけるのが一番大切だと考えています。購入して終わりではなく、その後のサービスの方が長いお付き合いになるのですから」 何年も一緒に過ごす相棒だからこそ、信頼を置けるサービスの存在があれば、預けるたびに安心や満足は増えていくだろう。
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競技になっているのが
大きいと思います。勝ちたい、
というモチベーションのもとで
知識の幅も広がるんです全国のテクニカルスタッフ、テクニカルアドバイザーの頂点に立った3人。競技に臨み、通常の業務に加えて1ヶ月半におよぶ特訓を積み重ねたという。奇しくも、インタビューを行った店舗の一画こそが3人の“勉強部屋”だった。
渡邊󠄄は振り返る。「この部屋で勉強しながら、クルマの話題をみんなで交わし合っている時間が一番楽しかった。特訓自体も大変とは思いませんでした。それでも、競技の夢を見て夜中に起きちゃったり。やはり随分意識はしていたんだと思います」
「新技術に関する設問をホワイトボードに書いていって、その回答を書き込んでいく。それを何度も繰り返しました」 チーム最若手として奮闘した竹田は、大変な経験ではあったがやりがいがあったと語る。「競技になっているのが大きいと自分では思います。全員が出られるものでもありませんし、勝ちたいというモチベーションのもとで知識の幅も広がっていきますから」
2度の全国大会を経て、3度目に表彰台の最上段にとうとう立った板橋は「TSとして、そしてTAとして全国大会に出た経験を、次に出る人や後輩へ伝えていきたい」と語る。それはなにより自分が若いときに先輩にそうしてもらってきたからだとも。