日産自動車(株)
高橋 信彦、 遠山 晃、 大伴 彰裕
日本における交通事故死者数は年間11,000人を越え、政府により交通事故非常事態宣言が発せられ、自動車の安全性についての関心が急速に高まっていることは衆知の通りである。事故形態も変化、多様化してきており、自動車乗車中の事故が増加傾向を示し欧米主要国の状況に近づきつつある。この様な状況の中で、自動車の安全性についての開発は、衝突形態毎に現象を論理的に解明し車体構造を検討することにより進められる。しかし、実験においては計測技術上必要なデータが取得できない場合もあり、さらに全ての評価を実験に依存することは、効率からみても日程的にも得策ではない。この対応として自動車メーカー各社は数値計算による衝突現象のシミュレーションに長年取組み実用化してきている。特に解析精度向上のニーズ、およびスーパーコンピュータの出現に伴い、大変形有限要素法が取り入れられてきているのが最近の動向と言える。本稿では、これら大変形有限要素によるシミュレーション解析の現状を紹介し、将来の課題について解説を試みる。
従来からの衝突解析手法としては、自動車構造を質点と非線形バネに置き換え振動系として解くマスバネ解析法や、質点とそれを結合するリンクとの構造体として塑性ヒンジバネ法とがある。しかし、これらの手法はサイドメンバ等の主要構造部材に見られるような軸圧壊問題への適用に難点があった。また部品として構造を具体化することを考慮した場合、より実際に即した形状による解析が求められるようになった。例えば、部材断面積形状の微妙な変化やスポット溶接の位置の影響を解析するケースである。これらの事情により近年になって有限要素法による解析手法の開発が急速に進められた。 大変形有限要素法が可能となった背景としては、有限要素法に要求される大型マトリクス計算を容易にしたスーパーコンピューターの登場と、数値計算手法の改良による計算の高速化、高精度化への努力が上げられる。
大変形有限要素法はスーパーコンピューターを用いても計算時間が非常に長い。
自動車の衝突解析に適用させるにあたっては、計算の高精度高速度化、解の収束性向上のため数値計算上様々な工夫がなされた。これらの中から代表的なものを以下に示す。
以上に述べた考え方を折り込んだ数値計算プログラムのルーツが、米国ローレンスリバモア研究所で開発されたDYNA-3Dである。この派生で商用汎用プログラム化されたものとしてPAM CRASH(仏・独・ESI社)、BADIOSS(仏・メカログ社)等がある。本稿で紹介したものについてはPAM CRASHを用いた。
車両の交通事故形態は、前面衝突、側面衝突、後面衝突に大幅に大別される。ここでは、各形態について大変形有限要素法を自動車の衝突現象解析に適用した例を紹介する。
前面衝突解析においては、乗員の受ける減速度を緩和するため車両前部の潰れ量と反力特製をコントロールし、平均減速度を下げ、その上で居室内の空間を確保するように車体を構成する部材の反力のバランスを取ることが主たる評価内容となる。
図.1に前面衝突解析モデルの例を示す。モデルは約12000要素から成る。特徴的なのは、エンジン、トランスミッション、ラジエータ、サスペンション等のユニット同志、あるいはダッシュパネル等の車体鋼板部材との接触問題が現象を大きく支配しているということである。従ってスライディングインターフェースの定義範囲の設定が良好な解析結果を得るための前提条件となる。また、フロントサイドメンバ等の重要な閉断面部材は他の車体本部よりも細密なシェル要素で構成し圧壊モードの再現に留意しなければならない。
図2に計算結果の変形モードを、図3に本計算により作られた時間-車体減速度履歴を示す。解析結果はほぼ実写の現象を再現するものとなっている。
尚、計算にはCRAY XMP-12上でおよそ60000秒のCPU時間を要している。
側面衝突においては、乗員と車体パネルとの距離が小さいため、車体側方の部材で衝突エネルギーを効率よく吸収することが要求される。
図.4に側面衝突解析モデルの例を示す。モデルは約8000要素からなる。現在提案されている側面衝突試験法に基づいた実験をシミュレートしようとしたものであり、アルミ製ハニカムからなるインパクターをモデル化し、車両側面より約50km/hで衝突させた。衝突現象に特に影響を及ぼさないと考えられる部分については集中マスで代用させる等モデルの簡略化を計った。図.5に計算結果の変形モードを示す。
尚、衝突初期の計算に約5500秒のCPU時間を要した。
後面衝突においては、追突時の火災回避の目的から燃料系(タンク、フィラーチューブ等)を保護すること、及び居室の空間を確保すること等が重要な課題となる。
図.6に後面衝突解析モデルの例を示す。モデルは約10000要素からなる。燃料洩れ評価試験基準に基づいた実験をシミュレートしたものであり、ムービングバリアの衝撃面をシェル要素でモデル化し車両後方より約50km/hで衝突させた。燃料系周りの変形状況を詳細に評価するため、燃料タンク、及び周囲のシャシー部品等をモデル化し計算を行なっている。図.7に結果の変形モードを示す。
尚、衝突後40msecまでの計算に要したCPU時間はおよそ38000秒となっている。
前章において示したように、良好なモデルが整えば、解析精度は変形量、減速度などについて充分な再現性のあることがわかった。また、変形モードについてもほぼ実際の車両を用いたテストの挙動を再現している。
このことから、大変形有限要素法を使うことにより、車体変形特性を理論的に把握し、制限された条件下での部品の構造検討に応用し、実験結果を予測する、といった検討が可能になりつつあると言える。
しかしながら、設計者が大変形有限要素法を実際の車両開発において日常的に活用していくには、依然課題が山積されている状態である。以下これらの課題についてまとめる。
解析精度の追究から解析モデルは年々大型化されていく状況にある。これに伴い解析モデルの作成に必要な工数は大幅に増大してきている。
大変形有限要素法を効率的に使っていくには、解析精度を保証する要素分割法、モデル作成支援ソフトの機能充実、将来的にはモデル作成自体のAI化に取組んでいく必要がある。
モデルの大型化に伴い、計算時間も大幅に増大する傾向にある。計算結果を得るまでの所要時間は、車両開発に取組む技術者の検討サイクルに合うものでなければ、いかに優れたツールであっても実際の開発において活用されにくい。
計算時間短縮のため、ハードウェア(計算機)の能力向上はもとより、解析プログラムのベクトル化の促進、サブサイクリングの導入、解析モデルの効率化(要素数削減)等ソフトウェアの機能向上についての取り組みが必要である。
大変形有限要素法を自動車の衝突解析に適用するにあたっては、スライディングインターフェースの活用度が計算結果精度を左右することは前述の通りである。
しかし、スライディングインターフェースについては、その煩雑な定義方法や、設定数に比例して計算時間が増大する等、依然問題が山積されており多くの改善が必要とされる状況にある。
現在は材料の物性の問題等から主に銅板を用いた構造に適用されているが、インストルメントパネル等樹脂あるいは複合材料からなる車室内部品への応用についてもニーズが高まりつつあり、このための技術開発が進められている。近年になって、体積計算精度の向上、バッグスラップの現象解析等を目的にエアバッグの展開課程をシミュレートした事例が報告されている。将来的には乗員モデルまで組み込んでの車両-乗員統合解析事例が報告されてくることとなるであろう。
また、スポット溶接強度の影響の評価、亀裂現象の再現、ガラス破壊のモデル化等もさらに研究が進められるべき課題として上げられる。
シミュレーションは、ある仮定条件の基に数値計算を行なっているものであり、計算結果の精度は如何に実際に生じている現象を読みとり計算理論に合った解析モデルへ落し込めるかにかかっている。従って、現象、解析ロジック双方に合致したモデル作成技術の開発、およびそれらに応じれるエンジニアの育成が必要である。また必要とするアウトプットに応じて従来手法を活用することも時にはよい結果を生むことになるであろう。
以上大変形有限要素法の現状と今後の課題について述べてきた。自動車の安全性能開発に携わる技術者として、ハード、ソフト両面での課題に対し鋭意開発が進められることを切に願うものである。